CD, its rise and fall

こんなニュースを目にした。

「音楽ファイルを違法アップ 個人に540万円支払い判決」

音楽ファイルを違法にダウンロードできる状態にしたとして逮捕された個人に、初めて損害賠償請求に対する支払い命令が出た。 この記事での大手レコード会社幹部とされる人の見解として

音楽CDが売れなくなったのは違法アップロードの影響が大きく

というものが挙げられている。

つまり音楽ダウンロードと違法コピーのせいで「CD」の売り上げが落ち込んでいるという。もういままで何度も見た主張だ。

いつまでこんなことを続けるつもりなんだろう。違法コピーをなくしさえすれば、CDの売り上げが回復するのだろうか。こつこつ草の根的に個人を訴えて、違法コピーが減って、ついでに若者が携帯電話などにお小遣いを使わなくなれば、また90年代のCD全盛の世の中が戻ってくるというのだろうか。

残念ながらCDの売り上げは、もう戻らない可能性が高いと思う。これは音楽を好きな人が減るというのとは、別次元の話しである。音楽を好きな人は変わらない。単に媒体としてのCDが、もうその役目を終えたということだ。

音楽を聴くという行為は何物にも代え難い。ただ人が好きなのは音楽であって、「CD」ではない。音楽を聴くという行為は普遍的だが、CDを聴くのという行為は単なる手段だ。

 

確かに日本では90年後半の一時期飛ぶようにCDが売れた。しかし、それは本当に音楽が浸透し愛されていた証なんだろうか。私にはそうは思えない。ドラマの主題歌になった曲のCDをみんなで買い、みんなで聞くのがオシャレだった時代があったというだけだ。かつて日本中でフラフープに熱狂した時期があった。紅茶キノコが流行った時期もあった。今もなおフラフープに熱狂している人は、そうはいない。紅茶キノコの再販価格維持のため汲汲とする人もそういない。そういうことだ。90年代後半比べて現在のCDの売り上げは「落ちた」わけでなく、単にあれは「バブル」だったのだ。

周囲の皆がそろいも揃って同じドラマの主題歌のCDをこぞって求め、そろいも揃って聞いて、カラオケで歌う。それが音楽への本当の愛や共感の現れかと考えると、違和感を感じないだろうか?人は千差万別だし、食べるものも着るものも、好みは本当にそれぞれ違う。私は音楽が大好きだが、自分が心底愛し心震える曲が、他の人にとって驚くほどなんの感動ももたらさない事がしばしばある。なのに日本全体であれほど均質でほとんど同じように聴こえる曲があれほど支持されたのは、やはり音楽が好きな人が非常に多かったからでも、違法ダウンロードがなかったからでもなく、単にバブルだったからではないか。音楽が好きな人がたくさんいたのではなく、記号として音楽を消費する潮流に乗った人がたくさんいたのだ。

CDがまた売れるよう祈ることは、日本人がまたフラフープに熱狂するよう祈る行為と似ている。そして90年代後半の狂乱は終わってしまった。

 

もちろん違法アップロードやコピーは良くないことだし、取り締まるべきものだろう。日本の音楽業界が、音楽を多種多様な手段で遍く音楽愛好者に届くよう努力をし、このような違法行為よりはるかに簡便なシステムで音楽に触れられるように奔走し、規制や慣習を撤廃し、その上でやむなくこのような訴訟を起こすのであればいい。しかし現在日本の音楽業界が注力しているのは、それとは真逆の、皆がまた「CD」ただそれのみを諾々と買うよう、そしてそれ以外のメディアの発展を阻害するようにあらゆる手を尽くす事に思えてならない。

音楽配信では、iTunesより遥かに低ビットレートで管理も煩雑でプレーヤーもお粗末な着うたフルが1曲300円台という法外な値段で売られている。この利益を失いたくないがために、iTunesや他の音楽配信を拒み続けるレーベルは多いと聞く。彼らは、音楽を一人でも多くの人に届けているのではなく、何も知らないユーザー(主に中高生が多いだろうか)からできる限り多く収益を上げようとし、その収益を守るために他の媒体を阻害しているように見える。

CDの(のようなフォーマット)にしてもそうだ。日本の音楽業界が生み出し一時期市場でかなりの数が流通したコピーコントロールCDというフォーマットは、PCなどへのコピーを防止するために、CDという規格に備えられたエラー訂正符号を意図的に壊している。このため、ラジカセやコンポなどで再生障害が起き、音質が下がったり再生できなかったりするユーザーが少なからずいた。しかし技術は進歩するので、予想されていた事だがすぐにCCCDはPCで何なく読み取り・コピーができるようになった。彼らが違法コピーを防ごうと作ったフォーマットは、コピーを防げず、代わりに正直に対価を払った人には音質の低下や障害をもたらした。そしてCCCDは、CDの規格に沿っていないので、実はCDですらない。

その後音楽業界は何をしてきただろう。着うたフルの値段はそれほど下がってはいないし、相変わらずiTunes等への配信を拒むレーベルは多い。CCCDはさすがに廃れたが、ボランティアで演奏するオーケストラに著作権使用料を請求し、個人を訴え、曲にDRMをかけた上でMP3プレーヤーに私的録音補償金さえ課そうとしている。CDそのものの価格も、再販制度に守られ、これだけ物価が下がった世の中でこの10年ほぼ下がっていない。これだけ企業努力から無縁に見える業界も珍しい。

 

もしフラフープブームが去りつつある中で、再び日本中に広めたいと思うなら、何をすべきだろうか。フラフープ以外の娯楽を阻害したり、フラフープで遊べる施設に使用料を課したり、フラフープを腰で回す以外の遊び方を禁止したりすべきだろうか。フラフープを全国の遊園地に配布したり、低価格で色んなお店で買えるように販路を整えたり、フラフープの新たな楽しみ方を率先して提案したりしてみてもいいのではないだろうか。

 

音楽業界は、もっと他にできることがあるのではないかと思う。古来爆発的な収益をもたらした媒体にこだわり、音楽の支持や浸透の指標としてCDを重視することはそろそろやめてもいいと思う。CDの売り上げを戻そうと報われない努力をするから、他のメディアを阻害したり、障害を起こすようなフォーマットを作ってしまうというのではないだろうか。そしてその結果ユーザーの音楽離れを招いていないだろうか。

そして違法コピーやダウンロードは元メディアの売り上げ減の原因とはならなそうだ、と様々な研究結果やデータが示している。あまつさえ正の相関関係がありそうだという結果も出ている。AmazonやiTunesで音楽業界があれほど反対した、DRMなしの楽曲が販売されているが、その曲も急激に違法ダウンロードされたり、販売が落ちたりしていない。違法ダウンロードを防ぎ、CDの売り上げを戻す戦いは、意味のない戦いの可能性が高い。むしろCDは音楽業界関係者の目を曇らせ意味のない戦いへ駆り立てる、諸刃の剣なのかもしれない。

 

私は音楽が好きだ。音楽を聴くという行為は何物にも代え難い。耳に残る数フレーズだけをたよりに何年も探し続けた曲に出会った時の感激や、数年に1度あるかないかの珠玉の1曲に巡り会えた時の感動は筆舌に尽くし難い。だからこそ、上記の事件や、その帰結として多様な音楽に触れる機会が少しでも制限されてるかもしれないという事実は、非常に残念に思えてならない。

CDはいずれその役目を終え、徐々に市場の中心から逸れていくだろう。しかしCDの凋落がそのまま音楽の凋落とならないように、音楽の火が本当に消えてしまう事にならないように、と切に思う。

 

now playing:
My Love / Jazzida Grande


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